不安定な気持ち。

紹介状を持って

新しい大学病院を訪ねた昨日。

やるだけのことはやろう、と

意気込んでみたけれど、

その検査の多さにたじろぐ。

だんだん苦しくなってきて、

家族には

「止めたければ、いつでも止めよう」

と言った。

超がつく高齢者の医療は

その年齢が大きな壁になる。

はじめのうちは、

その扱われ方に

不平等な医療措置だ、と憤慨もしたが、

日々、家族と付き合ううちに

意思の疎通、行動の迅速さ、物忘れ、など。

医療では欠かせない人間の機能が

歳を重ねていくうちに

失われていくことがわかった。

何度も話してやっと内容を理解してもらう。

多少苦痛をしいる姿勢の検査に耐えられない。

決まった時間に薬を飲めない。

など、想像するだけでも無理なのがわかる。

年齢で切って考えることは

ある意味合理的で正解だ。

それでも、意識がしっかりしていて

自分の意思表示ができるのであれば、

病気と闘ってほしいと思う。

本音では生きたいと思っているのに

気を遣ってギブアップしていい命なんて

ないと思うから。

本人の意思が届くように。

やりたいことをやってほしい。

痛いことはしてほしくない。

苦しみながら最期を迎えるのはダメだ。

これまでの人生、苦しいことも

たくさん乗り越えて来た。

子育てのために身を粉にして働いてくれた。

高度成長を支えてくれた年代である。

自分は食べずとも子供に食べさせてくれた。

そんな家族が幸せな最期で何が悪い。

長生きして遠慮するなんて

どう考えてもヘンだ。

昔のおじいさん、おばあさんは

もっと威張っていた。

年寄りは大事にして当たり前だった。

それが、今はどうだろう。

長生きしている老人に

本当に心から優しい気持ちで

接してくれている人はいるのだろうか。

「もう〇歳だから、このへんで」

とか、勘弁してほしい。

家族を持ってしても

その事実(歳)は変えられない。

ここまで生きてこれたのに、

本当の意味で祝福されていないなんて

どんな世の中なんだ。

家族は、たとえ100歳を迎えても

はい、ここまで、とは思わない。

いくつになっても

このままそばにいてほしいと思う。

正直、世話も大変だし、

苦痛に感じることも増えてきたけれど、

生きていてくれるだけで

張り合いが出る。

頼りになる。

声をかければ

目を合わせて会話ができる。

まだ、大丈夫だ。

そう思っていたけれど。

昨日は、朝から食事ぬきで

夕方16時くらいまで。

診察のために3時間待ち。

その後の検査に2時間半。

本当によく頑張ってくれた。

さすがにぐったりだったと思う。

しかし、帰りの車内では

付き添い人に気を遣って

元気そうに振舞っていた。

帰宅してから遅い食事を摂った時にも

から元気で饒舌だった。

でも、今朝はいつもの時間に起きて来ず、

心配になってしまった。

こんなに疲れるのなら、

どうしたらいいものか。

突き進むと決めたけれど、

あと2週間のうちに

検査が4つある。

胃以外の臓器を全部みて歩くようだ。

体重も落ち始めているから

それを考えると不安以外ない。

考えるだけで口から

何か出てきそうな気分になる。

できるだけ気持ちを明るいほうに

持って行きたくてKに話しかけたりするけれど、

すぐにパソコンに向かって検索をしてしまう。

この不安はあとどのくらい続くのだろうか。

しかも、初めてかかる病院だから、

プレッシャーが半端ナイ。

指定された建物の場所さえ

教えてもらわないとわからない。

これも不自由極まりない。

車いすに乗ってもらって

あっちへこっちへ。

それだけでも身体に負担をかけてしまう。

どうしていつもの大学病院ではなかったのか。

緩和ケアはどちらの病院にもあるのに。

どうしてあの時、病院を指定しなかったのか、

自分の行動が悔やまれた。

初診のため、手続きに時間をとられ、

診察も予約の方の間に入れられた感じ。

こちらも予約をとってはいたけれど、

優先順位からすれば後に回される確率は高い。

一度表示された家族の番号が点灯して

入り口のドアを開けて

先生に頭を下げたところで

「あ、間違った、あとふたり後で」

と冷たく言われた。

それまであった掲示板の番号が

消えたのもショックだった。

紹介元の病院でも

ふたことめには年齢を出されて

もういいでしょう感が満載だったので、

こちらもそんな扱いなのか、とショックだった。

そこからさらに1時間少し待たされて

ようやく受診。

挨拶もそこそこに電話が鳴る。

我々の話ができたのは数分間だっただろうか。

時計をみたら滞在時間は10分少々。

「あと患者が5人もいて終わらないんで」

電話の会話だけ聞かされる。

本題に入っても正式な病名すら言われず。

「治療をするのか、しないのか」

それだけ確認すると

今度は検査の予約に電話を握り、

あっという間にいくつかの検査の予約を入れた。

そして、

「あとは窓口の専門スタッフが説明するから」

と言われた。

こちらの日程を聞かれたので

答えつつ、カレンダーに書き入れていたら

「ああ。ここでそれはやらないで、

次の人が待っているから。

全部専門スタッフが教えてくれるから」

と。

早く出て行ってほしいらしい。

おっしゃるとおり。

時間が惜しい。

次にやることは検査、検査、検査なのである。

先生と話すことは今はもうない。

初診なのに、病歴も聞かれず、

ただ治療をするのかだけ確認って。

忙しいも究極になるとそうなるのか。

とにかく検査してみなくてはわからん、と

いうことはわかるので、

お礼だけ言って部屋を出た。

先生が気の毒に見えた。

きっとあの光景は忘れないだろう。

専門スタッフを訪ねたら

予約ミスがあり、検査予定日が変更された。

これだけ忙しいのだから

伝達ミスもあるだろうと思った。

お願いだから医療ミスだけは起こさないでほしい。

と、ここに書いておいたから

きっとミスは起きないと思う。

来週から検査がある。

たいしたことない、と本人はいうけれど

やせ我慢ということもある。

本当にやせてしまって、

身体を維持するのも疲れるのではないか、

と推察しているが本人は言わない。

何もしなかったら

このまま衰弱していくのみだろう。

それは家族として本意ではない。

去年から始まった疑惑の貧血の原点は

この病気だったのだとすれば

何とか回復させたい。

勝手な家族の想いだが、

昨年、いくつもの手術を乗り越えて

せっかく生かしてもらえたのだから

何とかしたい。

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