人生を終える時。

人間だれしも最後がある。

病に苦しんだり、

身体の危機的状況に追い込まれたりした時。

人は最後を考えるのだと思う。

何気なく過ごしてしまう日常。

それが幸せなのかどうなのかも

考えることもしないで。

一日いちにちが過ぎ去っていく。

この数年の間に

命に関して考えることが多くなったが、

それでもやはり、現実に思っていない。

Kは手術で心臓の病気自体は克服した。

あとは寿命ということで

こんな幸せなことはない。

家族はどうだ。

昨年、大きな手術をして

これもまた、あとは寿命まで、と

思っていた。

それなのに、病気がみつかった。

できるだけ痛いことはせずに

そっとしておきたかった。

でも、万にひとつも寛解への道があるのなら、

そこへ目指してもいいのではないだろうか。

年齢が壁になる。

心臓が弱い、と初めて言われた。

それでも耐えきれると言えるか?

血管から強くしなくては、と思い

ニンジンジュースを勉強し、

ナッツを買い集め、

無添加、無塩にこだわり、

できる限りのことをしてきた。

それでもまだ主たる治療は始められない。

医師が熟考の上、治療するのか、しないのか、

判断するという。

突き放された気分だ。

今のところは、そこまでが精一杯なのだろう。

野戦病院のようなところで

命のやりとりがある。

ここで生き残るには

医師の誠意、慈悲を頼るほかにない、と思った。

今回、入院治療にあたることになったが

まだわからない。

この一週間でその先が決まる。

もしかすると帰ってこれないかもしれない。

だとすると、病院で最後を迎えるのか?

それは避けたい。

立てなくなる前に自宅に連れて来る方法を

考えなくてはいけない。

胃が痛い。

吐き気がする。

人間、考えが深くなると

吐き気がするものなのだな、と

知った。

食欲もなくなる。

それでも、食べ物を口入れなくてはいけない。

幸せそうな笑い声が聞こえると

いいなぁ、と思う。

しばらくその場にいさせてもらい、

楽しみを分けてもらう。

明日の入院を前に忙しく支度をするのだが、

のんきな当人が本当に大丈夫か心配になる。

それぐらいがちょうどいいのか。

人生の終わりは病院だ、と以前学んだ。

確かに、と思った。

でも、ウチは

ウチの場合は、自宅で迎えさせたい。

自分の場合はさておき。

知らない人たちの中ではなく、

見慣れた景色、人たちに囲まれるのがいいと思う。

これまで歩んできた道のりを

一緒に歩んできた道のりを

大事にしたい。

感謝したい。

頑張ろう。

まだ結論が出たわけではない。

最後じゃない。

強くなる。

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