思考停止。

家族の具合がはっきりしない。

ダルいのは、たぶんそうなのだと思うが

返答もあいまいだ。

看護師さんやドクターの前では

軍人のような明瞭さで返答する。

本人は精一杯なのだと思う。

面会の家族にまで気を遣う必要などない。

ないが、痛いのか、かゆいのか。

気まぐれな返事なのか、

具合が悪くて返事ができないのか。

さっぱりわからない。

このまま痴呆が進むかもしれない、と

余計は考えまで浮かんでしまう。

過去に闘ったガンは

あまりにも優しいものだったことが

今回わかった。

面会を終えて

自宅に戻った時には

全身の倦怠感が半端ナイ。

とにかく体を横にしたくて

シャワーを浴びて身支度をする。

Kもお待たせした気分なので

夕飯を食べさせて

抱っこなどしてみる。

Kが入院していた時も

胸が張り裂けそうで

胃が痛くて

食事が喉を通らなかった。

今回も似たようなもの。

夜な夜なネット検索で病気について調べて

自分の現在地を確認する。

これでいいのか、悪いのか。

そこばかりが気になる。

早く元気になった姿の未来を見せてほしいと願う。

ただ、老人医療というのは

通常の医療とは違うと感じた。

頭に『もういいでしょう』が付く。

すべての医療現場で

そう言われたわけではないが、

超高齢者の治療には

治療してもその先は……。

ということがあるというのもわかった。

家族が考える『今のこの苦痛をとってあげたい』という願いは

『もう、これより先に期待がないので』という

暗黙のプレッシャーに押しつぶされそうになる。

負けない。

大事な大事な家族だから。

必ず今より楽になるように、

完治はしなくていい。

とにかく日常が平穏でゆっくりと流れていくように。

自分が年老いた時、

一定の年齢を超えたら

治療対象にならない、とか

勘弁してほしいと思う。

老い先短い者は治療をあきらめなくてはいけない、とか

生きていてツラくて仕方ない、と思う。

たとえ治療を受けないとしても

もっと優しい世界で生きていたいと思った。

そんなことを考えていたら

ほかのことが考えられなくなった。

ブログも書きたくない。

でも、記録しておかなくては。

あとで振り返ったときに

自分が何を考え、行動したのかが

残っているように。

渦中にいると全体が見えなくなってくるが、

あとから眺めると全体が見えてくる。

そういうこと。

今は完全に思考が停止した、ということも

この時期にあったこととして残す。

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