体調不良の家族を病院へ連れて行く。
いつ亡くなっても不思議ではない
年齢に到達している家族。
それでも、まだまだ同じ世界で
過ごしたいと子供らは願う。
不調を訴える患者に向かって医師が言う。
「○歳なんですから、もう徹底治療はいいでしょう」
家族は苦笑い。
本人はどう思うのか、無言である。
検査をしていただき、問題なしということで
痛み止めの薬を処方していただき帰宅。
顛末を自宅で待っていた家族に報告すると
笑わない顔で一言。
「自分がそうなったときにも
同じことが言えるのか」
全くその通りであるが、それが世間というものである。
とうに80歳も過ぎた患者に対して
『もう充分でしょう』というニュアンスの
言葉を投げかける医師が一定数存在する。
それは医師だけではなく、
看護師や事務員など、医療関係者全般で感じる。
世間的にも80歳を超えて亡くなれば
『大往生』と言われて
よくぞここまで生きました、と
されてしまうのだろう。
でも、患者家族は100歳でも200歳でも、と
思っているのではないか。
慰めるつもりで大往生などと言うなら
やりきれない。
最近病院に行くことが増え、
慣れっこになっている私は
今日の医師の発言は
聞かなかったこととして、
とにかく診てもらいたいこと、
やってほしい希望を伝えて
自分なりに納得いく診察を
受けられたと思えたので帰ってきた。
家族としては
こんなことで負けてはいけないのだ。
医師も人間。
年寄りに対する考え方や、
気分が乗らないときもある。
医師の人間性と医師としての実力は
別モノだと思うから、切り分けて対峙する。
先生の腕は確かなのだと思うから。
そうやって前に進むのだ。
いじいじしている場合ではない。
悔しがったところで
家族は若返らないのだから
気持ちを切り替える。
本人が嫌がるようなら
病院を変えればいいだけのこと。
そんなもの。
ここまで打ってふと昨年のことを思い出した。
昨年2月。
救急車で運ばれ、輸血などを行う
入院生活をすることになった家族。
あの時も毎日新聞を運ぼうとした我々家族に
事務員が言った。
「毎日来なくてもいいでしょう」
「……(-_-;)」
新聞を毎日運ばず、なんとする?
それだけ病院はスタッフが足りなくて
切迫している、ともいえよう。
1日置きに届けることにした。
コロナの影響もあって、
病室に入ることはできないので
せめて楽しみにしているスポーツ新聞を
届けたいと思う家族の気持ちは
理解できないようだ。
文句というよりも、
そういう世の中なのだ、と
学習した。
ホスピタリティ精神というものは
奥が深いとつくづく思ったのだった。
だから、家族が認識している命の重さと
世間の感覚にズレがあっても動じない。
我が家は我が家でこれからも
相変わらず家族を大事に思いやっていく。

コメント